イスラエル箸休め企画 第二弾『一期十会』 ~もう逃げられない国、イスラエル~
Makiko Fukumuro@SOMPO CYBER SECURITY | 2021年3月31日
記事に関するご意見・お問い合わせはこちらへお寄せください。
(SOMPOホールディングス、損害保険ジャパンなどグループ各社へのお問い合わせはご遠慮下さい)
SOMPOホールディングスは、2017 年 11 月に日本の保険会社として初めてイスラエルのテルアビブにデジタル戦略拠点「SOMPO Digital Lab Tel Aviv」を開設し、サイバーセキュリティを含む複数の領域においてイスラエルのスタートアップ企業との協業の検討や実証実験を行なっています。 現在、SOMPO CYBER SECURITYでも複数のイスラエル企業と技術提携をして、日本のお客さまにサービスを提供しています。
この『イスラエル箸休め企画』の案内役を務めますのは、前回同様SOMPO CYBER SECURITY プロダクト戦略部所属の私、福室 満喜子です。9年ほどイスラエルに住んでいたことがあり、イスラエルのスタートアップ3社での勤務経験もあります。
前回12月は『もしかしたらこの国、好きかも』と題した企画第一弾を掲載しました。
企画第二弾となる今回、何に焦点を絞ろうかと思い悩んだ結果、たどり着いた答えが、イスラエル特有の「ネットワーク」「コミュニティ」です。そこは一度足を踏み入れると二度と出ることができない泥沼か、はたまた居心地の良い長居必須、リピート必須の温泉地か。
良くも悪くも人々が大家族のように支え合う温かい間柄であり、家族であれば、口喧しく、煩わしく感じるときもあります。そんなイスラエルでの体験を『一期十会』 ~もう逃げられない国、イスラエル~と題して紹介します。
イスラエル箸休め企画 第二弾『一期十会』 ~もう逃げられない国、イスラエル~
一期一会ではない世界 イスラエル
「一期一会」とは皆さんご存じの通り、一生に一度きりの出会いを大切にしましょうという意味の諺です。
ところが『エコシステム:ハイテク輸出大国イスラエルを生み出したからくり その1 軍隊』でも当社のシニアリサーチャーであるマオール・シュワルツが紹介していますが、イスラエルという国の面積は日本の四国程度、しかも、人口は四国の2.5倍ほどで人口密度がかなり高く、一度会った人と別の場所で偶然再会するということは珍しくありません。
私自身、バンコクからタイ南部へ向かう夜行バスで3人組のイスラエル人女性と一緒だったことがあります。当時は、兵役を終えたばかりのイスラエルの若者たちは数人のグループで東南アジア、南米、インドなどを数か月かけてバックパックで旅行するのが一般的だった時代でもあり、若い女性とその母親と伯母という組合せに大きなスーツケースという光景は珍しく、印象に残っていました。
それから数年、再びイスラエルに住み始めた私は同僚の家族の祝い事のパーティーに招待されます。
何十人という招待客と自己紹介をしては少し世間話ということを続けていると、ある女性が「“マキコ”ね、昔、そんな名前の日本人にタイで会ったわ」と言った途端、お互いをしばし見つめ合い、次の瞬間、同時に「Lo Nochon!(ウソでしょ!)」
彼女たちのタイ旅行はタイを旅行中に亡くなった弟さんの足跡を家族でたどる追悼の旅だったのだそうです。
この手の偶然の再会は全くもって珍しくありません。
会いたいなと思っていた人に偶然再会できることもあれば、「うわっ」と思わず逃げたくなる再会もあります。
隠し事はできません。
悪いことは一切できません。
「引っ越したんだって?」「家、買ったんだって?」「転職したんだって?」「離婚したんだって?」
プライバシーはありません。
「オブラートに包む」という習慣もないので、皆、比較的ダイレクトに直球を投げてきます。
こうした直球をおせっかいと解釈し、鬱陶しく思うのか、もしくは、私に興味を持ってくれていると解釈し有難く思うのか、それはその時の自分の精神状態次第だったりもします。
一期十会の国の「ネットワーク」「コミュニティ」
ただし、これが「ネットワーク」として体現化されると、たちまちその本領を発揮します。
イスラエルでの学生生活が終わりに近づき、日本にはまだ帰りたくない、イスラエルに残りたい、この国ではどう就職活動をするのか、と友達に相談すると「まずは会う人、会う人に『仕事を探しています』と伝えること。あとは結婚という手もあるんだから『仕事と彼氏、探しています』でいいのではないか」と。
なるほど、そんなもんか。
その日から、怒涛の「Makikoといいます。仕事と彼氏、探しています(握手)」が繰り広げられることとなります。
彼氏はなかなか見つかりませんでしたが(ここに関しては、本が一冊書けます)仕事はほどなくして見つかりました。SNSなど存在しなかった時代ですが、イスラエルの「ネットワーク」の重要性を知るきっかけとなる出来事でした。
これは今から20年前の話ですが、当時から既にイスラエルでは「ハイテク産業」が非常に盛んで、日本企業と協業を試みるスタートアップも少なくありませんでした。今ではおなじみの技術ばかりですが、日本の大手パソコンメーカーにリモートアクセスの技術を提供している会社や話す家電やおもちゃの技術を提供しようとしていた会社等で単発のアルバイトもしていました。前出の作戦の結果、正社員として入社できた会社も今では当たり前の話ですが、いわゆるオンライン決済用のセキュリティ技術を開発しており、アメリカの大手銀行やクレジットカード会社と提携し、日本のカード会社とも事業を展開し始めたところでした。
如何に兵役というシステムがイスラエル社会において、人と人とを繋げる重要な役割を果たしているかについては『エコシステム:ハイテク輸出大国イスラエルを生み出したからくり その1 軍隊』でも説明されていますが、兵役に行っていない私でさえもイスラエルのネットワークの恩恵に預かっているのですから、彼らの強靭なネットワークは想像に難くないのではないかと思います。
このオンライン決済のセキュリティ技術の会社での出会いは5年後、別のスタートアップへの転職に繋がります。既に日本に戻り仕事をしていたのですが、イスラエル時代に同室だった(イスラエルの職場は2-3人の小部屋が多い)同僚から連絡があります。
元同僚:Moshi(日本からの電話に私が「もしもし」と出ることが面白かったらしく、以来「Moshi」と呼ばれている)、最近転職してさ、ちょっと手伝ってほしいんだけど
私:なに?
元同僚:日本の会社との協業が始まったんだけど、デバイスを手配するから、日本の環境でQA(品質管理テスト)してくんない?
私:いいよ 平日の夜、数時間でよかったら
(数か月後)
元同僚:Moshi、イスラエルに来て手伝ってほしいんだけど
私:いいよ 2か月ほど待ってもらえればどうにかする
(東京のアパートを引き払い、イスラエルへ引越し)
こんな調子です。
この「ネットワーク」「コミュニティ」はもしかしたら「イスラエル」というより「ユダヤ人」コミュニティの特徴なのかもしれません。ディアスポラ(離散)という2000年以上に渡る歴史的背景をもち、世界各地で支え合いながら、そのアイデンティティを守り抜いてきた彼らの文化・習慣なのかもしれません。
オーストラリアで仕事を探していた時も(ここも長くなるので割愛)折角ならイスラエル関連のヘブライ語を使える仕事がしたいと思い、電話帳にある「Jewish(ユダヤ)」で始まる施設に片っ端から電話をかけまくり、片っ端から断られていたある日、一度断られたユダヤ教の学校から電話があり「週に数日のアルバイトでよければ是非」というオファーを貰いました。後でわかったのですが「うちの施設にイスラエル在住経験があって、ヘブライ語が話せるという日本人から電話があった。仕事を探しているようだ」「うちにもあった」「うちにもよ」という会話がユダヤ人コミュニティに広がり、この学校の付属幼稚園に子供を通わせているラビ(宗教的指導者)の耳にもこの噂が届き、そこまで必死なら雇ってあげたらどうですか?と学校に持ちかけてくれたらしいのです。
ネットワーク それは夢を叶える仕組み
日本で就職・転職活動をしていると、時々聞かれます「数年おきに転職しているようですが、なぜですか?」「職歴に一貫性がないようですがなぜですか?」「職歴に空白の時間があるようですがなぜですか?」
半日ほどお時間頂ければ、全てお答えします!
でも、敢えて一言で言うなら、当時の私の人生は「イスラエルに住みたい」が最優先事項だったからです。
「イスラエルに住むためには、仕事を選んでいる余裕はない。機会を与えてもらえるなら、それに応える」それだけのことです。人は様々な理由から仕事を選びます。ある種、流れに身を任せた結果であり、他力本願とも言えなくはないですが、その中心には常に「私のベクトルはイスラエル」がありました。
これがやりたい!こうしたい!が明確な人にとって、イスラエルのネットワークはとても心強い味方になり得るのです。
捨てる神あれば拾う神あり
イスラエルの政権が変わり、外国人労働者に対する方針転換の煽りを受け、お得意のネットワークをもってしても、太刀打ちできず「30日以内の退去命令」をイスラエルの内務省から出されたのが2011年1月。
とは言うものの、実はビザの更新が叶わなかったのはこれが3度目でした。
「強制退去」という強い措置が取られたのは初めてでしたが、はい、3度追い出されています。
追い出されても、追い出されても、ネットワークを駆使し、あの手この手で戻ります。
3度目の追い出しを食らって、イスラエルを去るその日、空港で再び一期十会が私を待っていました。
「Makiko!?」
背後から女性の声が聞こえます。
振り向くと、そこには金髪に染めた髪をひとつにまとめたスラっとスタイル抜群の美人が立っています。
知ってる顔、でも、どこの誰だか思い出せない。
私の頭の数ある引き出しの一つにしまわれているこの顔、でも、引き出しを開けるカギがない!!!
カギは先方が差し出してくれました。
「シャウリのママよ!」
あーそうだ。
大学卒業後、ヘブライ語を学びにイスラエルに渡った私は5ヵ月間の短期集中コース終了後、習いたてのヘブライ語に磨きをかけるべく、1年以上に渡りキブツと呼ばれる共同体組織の保育園でボランティアとして働いていた時期がありました。
そう、その子の名前はシャウリ。
保育園きっての悪ガキで、足がとても速くて、体つきは小柄ながら筋肉質で、気性は短気で思い通りに行かないことがあるとすぐに手が出てしまうシャウリ。「Pinat Kariyot(クッションコーナー)」またの名を「Pinat Onesh(お仕置きコーナー)」と呼ばれる保育園の部屋の一角にあった50cm四方のくぼみにクッションがたくさん置いてあり、悪さをした子供が反省を促されるそこが彼の定位置でした。一方向は部屋に面して解放されているので、閉じ込められているわけではないのですが、怒られた子供はそこでじっとしています。健気です。他の子どもたちが楽しそうに遊んだり、工作をしたりしているのには参加できず、そこから一人寂しく眺めるコーナーです。
保育園の先生に「マキコは日本から来ているのよ」と説明されていた子供たち。でも、3-4歳児に国の概念は難しく、「日本とは隣町」ぐらいに思っていたのでしょう。
ある日、保育園のお散歩の帰りに私が住む部屋の前を通ったので「私はあそこに住んでいるんだよ」と言うと、シャウリが「嘘だ!日本から来てるって言ったじゃないか!」とものすごい剣幕で怒り始めたのです。
びっくりしたけど、可愛くて、愛おしくて「歩きや車で毎日通える場所じゃないんだよ。飛行機に乗らないといけない遠い遠い場所にあるんだよ」と懇切丁寧に説明した記憶が蘇ります。
「シャウリもいるのよ。シャウリ!ちょっと来なさい!覚えてる?Shachaf(かもめ:保育園の名前)にいたマキコよ!」
今でも思い出すと涙目になります。
シャウリ本人は覚えていなさそうな反応でしたが、お仕置きコーナーが特等席だった男の子がそれはそれはハンサムなはにかみ屋さんの好青年に成長しているではありませんか。
「もう軍隊に入るのよ。」
そっか。。。
ということはあれから15年経ったということか。
どうか、どうか、あの子供たちが、皆、無事に兵役を終えられますように。
強制退去というなんとも後味の悪い最後を迎え「もうこんな国はこりごり!しばらくお暇を頂きます!」と思っていた私ですが「きっとイスラエルとの縁は一生切れない。一期十会の国だもん!」と、少し前向きな気分でイスラエルを後にしたのを覚えています。
シャウリ、元気にしていますか?
Israel Now イスラエル紹介コーナー【Neve Tzedek】
当初、このコーナーは現地にいる当社のAssaf Marcoに最新情報をレポートしてもらう予定でしたが、新型コロナウィルスの影響でレストランなども開いていないそうで、今回も私のお気に入りの場所を紹介します。
そこはNeve Tzedekと呼ばれるテルアビブ市内にあるエリアです。
古い街並みを上手に活かしつつも、洗練された雰囲気もあり、カフェやレストラン、お店も多く、散策するには持って来いのエリアです。Suzanne Dellal Centerという有名なダンスシアターもあり、コンテンポラリーダンスが盛んなイスラエルの中心的な存在と言える場所になっています。俳優でダンサーでもある森山未來さんがイスラエルに1年間ダンス留学していたときも、当時の映像を見ると、拠点はあそこだったのかなと思います。
そんなNeve Tzedekですが、私が特に好きだったのは、夜の散策です。
とてもセンス良く住んでいる住人がわざとカーテンを開けていて、間接照明越しに美しく照らし出される内部が見えたりします。壁一面の本棚であったり、壁につるされた自転車であったりタペストリーであったり、はたまた、ヒッピー調の住まいもあったり。Neve Tzedekだけでなく、テルアビブ市内にこうしたエリアが点在しており、路地好き、散策好き、インテリア好きの私としてはテルアビブの夜の徘徊は止められません!