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イスラエル箸休め企画 第一弾『もしかしたらこの国、好きかも?』

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イスラエル箸休め企画 第一弾『もしかしたらこの国、好きかも?』
テルアビブのJaffaと呼ばれるエリアの夏の夜の風景(撮影:福室)

Makiko Fukumuro@SOMPO CYBER SECURITY | 2020年12月10日

記事に関するご意見・お問い合わせはこちらへお寄せください。
(SOMPOホールディングス、損害保険ジャパンなどグループ各社へのお問い合わせはご遠慮下さい)

SOMPOホールディングスは、2017 年 11 月に日本の保険会社として初めてイスラエルのテルアビブにデジタル戦略拠点「SOMPO Digital Lab Tel Aviv」を開設し、サイバーセキュリティを含む複数の領域においてイスラエルのスタートアップ企業との協業の検討や実証実験を行なっています。 現在、SOMPO CYBER SECURITYでも複数のイスラエル企業と技術提携をして、日本のお客さまにサービスを提供しています。

さて、そのイスラエル。

皆さんはどういうイメージを持っていますか?

この『イスラエル箸休め企画』の案内役を務めますのは、SOMPO CYBER SECURITY プロダクト戦略部所属の私、福室 満喜子です。9年ほどイスラエルに住んでいたことがあり、イスラエルのスタートアップ3社での勤務経験もあります。

親の仕事の関係でもなく、駐在員だったわけでもなく、自ら好き好んでイスラエルに住み始めたわけですが、それ以前はどのような印象を持っていたかと言うと:

  • 行く前の「危ない国なのでは?」というイメージ
  • 初めて訪れたときの「喧しいなー 距離が近いなー 時間守らないなー」という第一印象ネガティブ三点セット

今回は上記を経て「もしかしたらこの国、好きかも?」に至るまでを報道からは伝わってこない等身大のイスラエルの紹介を交えつつ、書いてみたいと思います。

私がイスラエルという国を身近に意識するようになったのは、1993年、当時通っていたイギリスの大学にイスラエル人留学生が多かったことがきっかけでした。紛争が絶えない国というイメージしかもっていなかったのですが、寮の向かいの部屋にはイスラエル人、クラスにもイスラエル人という環境で、次第に彼らの集まりに招かれるようになり、夏休み、私が日本に帰らないとわかると、皆、口をそろえて「ならイスラエルに遊びおいでよ」と言うのです。

行ってみようか、でも、危ない国なんじゃなかったっけか、そんな私に彼らは言いました。

「危なくないよ。街には兵士もいるし安全だよ。」と。

兵士がいる=安全!?

日本という島国で安穏な人生を送ってきた私には全く理解できなかったのが正直なところです。ただ、この「全く理解できない、想像できない」世界に惹かれる傾向がある性格が後押しとなり、1993年夏、初めてイスラエルを訪れた私は、奇しくもオスロ合意(和平合意)が締結されたという歴史的なニュースをテルアビブのタクシーの中で聞くこととなるのでした。「兵士がいるから安全」という感覚には馴染めませんでしたが、この国が平和に向けて大きく動き出しているという空気は強く感じられました。

街中の兵士(撮影:福室)

(この和平交渉に尽力した当時の首相イツハク・ラビンは翌年にはノーベル平和賞を授与されるも1995年平和集会に出席中に右派の青年に暗殺されてしまいます。この暗殺が起きた日も私はイスラエルにいて、この国の複雑さを身に染みて体験することとなります。)

紛争の国 ⇒ 喧しい・距離が近い・時間にルーズ ⇒ 裏表がない・人懐っこい・温かい

それにしても騒がしい賑やかな人たち。

安全と感じるか否かより以前の問題として、最初の一週間はひたすら心の中で「うるさいなー 距離が近いなー 時間守らいないなー なんだ この国は」とブツクサとぼやく日々でした。

友人宅にお世話になっていたのですが、ひっきりなしに「家族」「友達」「いとこ」「親戚」「ご近所さん」が現れ、ものすごい至近距離で鍔迫り合いをしては、笑って肩を抱き合う、そんな光景が毎日目の前で繰り広げられていました。そう、日本人から見れば、今生の別れとなり兼ねない勢いで言い争った5分後には、肩を抱き合い、握手をし、笑い転げるイスラエル人たち、そんな彼らに次第に興味を持っていったのです。

  • 憎しみの喧嘩や言い合いではないらしい。
  • ただ単に本音で思ったことをぶつけ合っているだけらしい。
  • 後腐れはないらしい。

本音と建前の世界が苦手で、日本を息苦しいと感じていた私に、イスラエルという国は合っているのではないか。そう思った瞬間から(滞在2週目)突如、イスラエルに親近感を感じ始め、彼らの会話に耳を傾け、言語をピックアップし「ちょっと電話に出て!」と友達の家族に頼まれれば「シャローム ケン マコレ?ベセダ ラックレガ」と意味が分からないままに電話の相手と一連の挨拶を行い(今、思えば「こんにちは。はい。お元気ですか?私は元気。ちょっと待ってね」)、友達の家族に電話をつなぐという荒業をこなすまでになりました。そして、この一連のヘブライ語が使えたからか、何だったのか、覚えていませんが、ピザ屋で半日バイトもさせられました。知り合いがピザ屋を開いたが人手が足りないとかそんな理由だった気がします。

要は悪く言えば厚かましい(海外からの客人に「電話に出て」「ピザ屋手伝っといて」とは日本人は絶対に言わない!)、でもイヤならイヤと言えばいいだけの話。びっくりはしましたが、特にイヤでもなかったし、結果、楽しかったし。

ダイバーシティを絵に描いたような国 イスラエル

ヨーロッパや中東、北アフリカ、南米に離散していたユダヤ人の多くがイスラエル建国後にこの地に移民として戻ってきました。肌の色が比較的褐色で日本人が「中東」と聞いてイメージするような容姿の人たちもいれば、東欧系のいわゆる日本人が「ヨーロッパ人」と聞いてイメージするような白人系の人たちもいます。エチオピアからの移民もいるので黒人系の人達も少なくありません。こうした人たちは数か月「ウルパン」と呼ばれるヘブライ語学校に通い最低限のヘブライ語を習得すると、社会へと放り出されます。髪の色や肌の色は外国人か否かを判断する材料にはならないのです。つまり、人を外見で区別する感覚が日本人よりかなり低い気がします。こうした背景からカタコトのヘブライ語を話す人は珍しくないので、こちらが習いたてのたどたどしいヘブライ語でも取り立てて気に留めることもなく、怒涛の如く話しかけてきます。だから1週間も経てば電話にも出させられるし、ピザ屋でも働かされるわけです。

初めて行った死海よりも聖地エルサレムよりも何よりも「イスラエル人」という人間の印象が強かった私の初めてのイスラエル滞在2週間はこうしてあっという間に過ぎて行きました。

イスラエルの魅力に取り憑かれた私は数か月後の冬休みには、今度はエジプトから陸路バスでイスラエルに向かうことになります。エジプトでお金を盗まれすっからかんになり、涙目で国境に到着するも、迎えに来た友達のいとこが免許証を携帯しておらず、真夜中に警察署に数時間缶詰めになる事件もありましたが、その話はまた別の機会に。大学卒業後、私は再び単身イスラエルへ向かいます。

今度は観光ではなく、彼らの言葉「ヘブライ語」を学び、住むために。

その後、滞在ビザのやりくりに苦労しながら、政権が変わり、ユダヤ教徒でない外国人に非常に厳しい時代が訪れ、強制退去を命じられるまで、合計9年をイスラエルで過ごすことになります。

イスラエル的精神

「箸休め」と称し、サイバーセキュリティとは全く関係のないエピソードを書いてきました。

ですが、こうして私が夢中になったイスラエル人の気質、文化こそが現在のイスラエルのスタートアップ国家としての成り立ちに深く関係していると私は思うのです。多くの異なる人種や文化を受け入れ、裏表のない単純明快なマインドセット。そこには、これはこうあるべきという日本人にありがちな「あるべき論」が存在しません。チャレンジを望む人にはその場が与えられます。私が9年間という決して短くはない年月をイスラエルで過ごすことができたのも、様々な機会を与えてくれるこの土壌があったからこそだと思っています。

座右の銘というほどではありませんが「ダメ元」「言った者勝ち」という概念は常に意識しています。

日本人は遠慮がちで、思慮深く、心配性で、準備周到、他人を思いやりすぎるあまり、もしくは自分がどう思われるかを気にし過ぎるあまり、なかなか一歩を踏み出せない人も多い気がします。

とにかく、言ってみる、やってみる。イスラエルで学んだ姿勢です。

「あるべき論」に囚われ、自らに見えない足カセをはめるようなことはしない。

そして、これも、最後、イスラエルから追い出されることになり、落ち込む私に、日本に在住経験のある親友のお兄さん(イケメン)が言ってくれた言葉です。「こうあるべきと思い込みすぎるのは良くない。Aをゴールと思って突き進んだけど、結果、BやCにたどり着く。それがAよりも良い場合もある。Aに到達できないのは失敗でも絶望でもない。」

日本語で言うところの「結果オーライ」「終わり良ければ総て良し」という概念かと思います。

これはあくまでに個人の見解ですが、紛争が絶えなかった国ならではの考え方なのかなと。

悩み、思いとどまっている間にも状況は刻々と変化します。何が最善なのかは時と場合によって異なります。

柔軟な判断力と行動力、これもスタートアップ国家の成り立ちに寄与しているイスラエル人の気質なのではないかと思います。

2003年、私は当時勤めていた英語教育関連の日本の職場でユダヤ系アメリカ人の同僚からある英語雑誌の広告を見せられます。「Teach and Study Program in Israel」ユダヤ系のアメリカの若者のためのイスラエルで教えて学べるプログラムとはテルアビブにある大学で言語学を学びつつ、テルアビブの公立の小中高で研修生として英語を教えるというプログラムでした。私はアメリカ人でもなければユダヤ人でもなかったのですが「チャレンジしてみたら?」とその同僚に言われ、ダメ元で申し込んでみたところ、なぜか電話面接に進み、最終的には「どうぞ、いらしてください」となりました。以来、転職時などの「応募条件(要項)」は私にとってはあくまでも参考資料と化しました。ものすごくやってみたい気持ちが強いときは、とにかく、チャレンジ。取り合ってもらえなければ、それまで。逆に考えれば「条件」「要項」に忠実な四角四面の環境はいずれにせよ私にはあわない環境なのかもしれません。

百聞は一見に如かず。

どれどれ、やってみるか、はたまた、やらせてみるか、というイスラエルの寛容な精神にレハイム(乾杯)!

外見や経歴で判断することなく、まずは人となりを見てくれるイスラエルのOpen-Mindedな精神にレハイム(乾杯)!

この箸休め企画を通し、少しでも皆さんに「もしかしたらこの国、好きになれるかも」「興味あるかも」と思って頂けたら幸いです。

Israel Now イスラエル紹介コーナー【Yaffa Knafeh】

テルアビブのJaffaと呼ばれるエリアにある「Yaffa Knafeh」夜中でも行列が絶えない人気のクナフェ屋(撮影:福室)
大好物!あえて言うならパリパリそうめんが乗ったモッツァレラのシロップ漬け?

クナフェとは中東地域で食べられているヤギや羊の乳から作るチーズを使った甘い(甘ったるい)お菓子です。上にはオレンジ色のカダイフと呼ばれる細い麺が乗っており、トッピングにはピスタチオの刻んだものというのが定番です。出来立ての温かいのを食べるのがおススメ!

ヘブライ語のページですがYaffa KnafehのFBはこちら

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