イスラエル箸休め企画 第七弾『外国人は見た!』~通りの向こう側の世界~
Makiko Fukumuro@SOMPO CYBER SECURITY | 2023年7月12日
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SOMPOホールディングスは、2017 年 11 月に日本の保険会社として初めてイスラエルのテルアビブにデジタル戦略拠点「SOMPO Digital Lab Tel Aviv」を開設し、サイバーセキュリティを含む複数の領域においてイスラエルのスタートアップ企業との協業の検討や実証実験を行なっています。 現在、SOMPO CYBER SECURITYでも複数のイスラエル企業と技術提携をして、日本のお客さまにサービスを提供しています。
そうした経緯から、イスラエルに関するコラムをお送りしています。
この『イスラエル箸休め企画』の案内役を務めますのは、9年ほどイスラエルに住んでいたことがあり、イスラエルのスタートアップ3社での勤務経験もある、SOMPO CYBER SECURITY プロダクト推進部企画部所属の私、福室 満喜子です。
さて、みなさんは映画やニュースでこの冒頭の写真に写っているようないでたちの人たちを見かけたこと、ありませんか?
日本ではもちろん見かけないのですが、私が昨年からドハマりしているフランスのドラマ『アストリッドとラファエル』で、先日、ユダヤ教徒にまつわる謎解きエピソードがあり、あれこれ思い出したので、今回は、イスラエルに住む正統派のユダヤ教徒について書いてみようと思います。難しい話にはせず、私の体験を交えながら、彼らの暮らしぶりを紹介しますのでご心配なく!
このような装いをしている人たちは、ユダヤ教徒の中でもHaradim(ハラディーム)と呼ばれる信仰心が非常にあつい人たちで、正統派やオーソドックスと呼ばれる人たちです。ユダヤ教徒は信仰の度合いや日常生活の様式によっていくつかのカテゴリが存在します。細かく分けられるのですが、非常にざっくりとした分け方をすると「正統派」「保守派(正統派と世俗派の間、直訳すると伝統派)」「Hironim(世俗派)」の3つに分かれます。この中でも正統派の人たちは、特定の街に集団で暮らしている場合が多く、普段の行動は信仰や戒律によって厳しく制約されており、世俗的な人たちとはほとんど交わることがありません。
イスラエルに暮らすユダヤ教徒の三区分
正統派が多く住む有名な一角がエルサレムの旧市街からほど近いMea Sherimと呼ばれるエリアです。町の一角なので間違えて、うっかり足を踏み入れることもありますが、物見遊山で気軽に行くのは厳禁です。
交わることがほとんどないこうした正統派の人たちは、私のような非ユダヤ人にとってはヴェールに包まれた謎多き存在です。そんな私でも、彼らにまつわるいくつかの稀有な体験をしているので、一部を紹介したいと思います。
Goy shel Shabbat
箸休め企画 第六弾の中でもイスラエルに住む非ユダヤ教徒について少し触れましたが、この非ユダヤ教徒のことをユダヤ教徒の間では男性の場合「Goy(ゴイ)」、女性の場合はGoya(ゴヤ)と呼びます。Shabbatとは安息日のことです。よって、Goy shel Shabbatを直訳すると「安息日の非ユダヤ人」となります。Goy shel Shabbatとは、安息日に労働を禁じられているユダヤ教徒(主に正統派)に代わって働く、非ユダヤ人のことを指します。
なんのこっちゃ。
日本だと「安息日」という単語を知っている人でも「日曜日のことでしょ」程度の知識かもしれません。
しかし、もともとの安息日というのは、金曜の日没から土曜日の夕方、星が出るまでで、労働から解放される日を意味しています。この「労働」という言葉の定義が近代化に伴い、ややこしくなってしまっているのです。
安息日は畑仕事に出ない、鍛冶場に行かない、お店を開けない、わかりやすいです。
しかし、現代に生きる正統派のユダヤ教徒は、私には非常に奇妙に見える戒律のもとに安息日を過ごします。安息日は労働から解放される日ではなく、労働を禁じられた日、という解釈に近いと思います。
火をつけることは労働とみなされるので、オーブンをつけたり消したりするのも労働、電化製品のオンオフも労働、車に乗るのも労働、安息日にこうした「労働」をすることは一切合切禁じられています。
ある意味、不便です。
そんな不便を解消するために、正統派の人たちが安息日の間に禁止されている「労働」を代わりにやってくれるのがGoy shel Shabbatです。これは職業なのですが、私もGoya shel Shabbatモドキを経験したことがあります。
興味がある方は、お時間があるときに、このYouTube動画をご覧になってみてください。
安息日を過ごす正統派の人たちを皮肉ったおもしろミュージック動画です。
正統派のユダヤ教徒に代わって、彼らが禁じられている全てを行うスーツ姿のGoy shel Shabbatの様子がわかります。ヘブライ語の歌詞に英語の字幕がついていますが、映像を見るだけでも伝わる内容だと思います。最後にはユダヤ教の戒律で口にすることを禁じられている甲殻類(この場合、ロブスター)を正統派がGoyふるまい、Goyがそれを豪快に食らうというオチまであって、よくできています。
ロックミュージック調です。
正統派の人たちの日常
私が当時住んでいたのは、テルアビブのRothchild通りとShenkin通りの交差点に立つマンション。すごくわかりやすく説明するとRothchild通りが表参道みたいなイメージで、Shenkin通りが竹下通り。おそらくテルアビブに住んだことのある人は「わからなくはないけど」と失笑中だと思います。
規模はそれの20分の一程度。
つまりは若者が集う通りと、もう少し落ち着いた大人が集う通りの交差点という立地に立つマンションで、当時、私は友達に紹介されたイスラエル人とルームシェアをしていました。そんな都会のど真ん中のエリアですが、実は一本裏に入ったAchad Haam通りの辺りには正統派の人たちが多く住む一角があります。
私が住むマンションの裏手が正にそのエリアだったので、私のマンションにも正統派の家族が住んでいました。
しかも同じ階に。
正統派の男性は私のようなGoyaと言葉を交わすことも、目を合わすことも禁じられています。
よってエレベーターホールで正統派のお隣さんにバッタリ会っても、私は「シャローム!(こんにちは!)」と挨拶をしますが、あちらから「シャローム!」とは決して返ってきません。無視はされていないとわかる程度の反応が時々あるか、ないかのレベルです。
ある金曜の夜(既に労働を禁じられた安息日に入っています)、Rothchild通りを一人で歩いていると、話しかけてくる正統派の男性がいました。「安息日だから、○○を付けてほしい」(台所のガスか電気のオンオフの話)と言うのです。もしや、これが噂のGoya shel Shabbatか!?と思いつつ、言われるがままについていくと、とあるマンションの複数名の正統派の男性が聖書なのか、分厚い書物を読んでいる部屋に通されたので、礼儀正しく安息日用の挨拶「シャバットシャローム!」を元気よく発したものの、全員に無視をされ、居たたまれない雰囲気の中、その部屋を横切り、台所に通され、何かをポチっと押して、お仕事終了。
「こんにちは」「ありがとう」ぐらい言わんかい!!!と思いましたが、コミュニケーションを禁じられているなら仕方ない、興味深い体験だったし、と自分に言い聞かせて、今日に至ります。
やっとこのエピソードの発表の場を得られました。
この正統派の人たちの安息日に対する向き合い方は、その世界に身を置かない私のような人にとっては非常に理解しがたい、私の日常とは相いれない世界なのですが、個人を尊重する国なので、そういう人もいるよね、で国全体としては成り立っています。
エレベーターにもShabbat Mode(安息日モード)なるものが存在したりします。各階止まりの設定があるので、安息日に入る前に設定しておけば「降りたい階のボタンを押す」という「労働」はせずに済みます。病院の病室も「安息日には緊急用ブザーは使えず、ベルを使うよう指示された」と当時、信仰心の厚い人が比較的多いエリアの病院で出産を経験した日本人の友人から聞きました。
正統派 meets 世俗人
エルサレム旧市街にある嘆きの壁の前で祈りをささげる正統派ユダヤ教徒(撮影:福室)
先ほども書きましたが、マンションの同じ階に正統派の家族(?)が住んでいました。
日常の挨拶もままならない、極めてドライな関係性です。
正統派の男性はみな黒づくめ、目を見ての会話もないので、外見での区別は付きづらいのですが、複数の男性がそこの部屋に住んでいたように思います。コの字型をしたマンションで、私の部屋は中庭に面しており、腰高窓はほぼいつも開けっ放し、中庭を挟んでその正統派の人たちが住む部屋がありましたが、いつも雨戸のようなシャッターが閉まっている状態だったので、隣人の視線が気になることはありませんでした。
ある夏の朝までは。
休日は早朝から海でひと泳ぎするのが当時の私の日課でした。
マンションに帰ってシャワーを浴びて、あられもない姿(ご想像にお任せします)で洗濯した水着を腰高窓の外にある洗濯紐にかけていると、違和感と言うか、視線と言うか、何か異質なものを感じた私が視線を上げると、いつもシャッターが閉まっていたはずのお隣さんの窓が全開になっているではありませんか!しかも、うす暗い部屋の奥に男性が立って、こちらを凝視している!?
イヤイヤ
目を合わせることすら禁じられている彼らだからガン見はしていない、するはずがない。
何か、別のモノを見ているのでしょう。
翌日、1階のエレベーターホールで正統派の男性と一緒になったので、こちらはいつも通り、無視されるのを承知で「シャローム!」と挨拶をすると、なんと。。。
「シャローム!お元気ですか!?」と歩み寄ってきて、両手で私の手を取ったのでした。
さては、おぬし、見たな~!
正統派 vs 世俗人
お互いに興味を持って歩み寄ればよいのに、と傍から見ていると思うのですが、この両者の間にある溝はなかなか深いものです。
お互いを尊重しつつ、「ご勝手にどうぞ」が基本ではありますが、それはあくまでも、もとから、そこに所属してそれを良しとしている人たちの話です。
どういう意味かと言うと「私は世俗的な家庭に生まれ、幸せです。ただし、異なる生き方や考え方の人も尊重します」逆に「私は正統派の家庭に生まれ、幸せです。ただし、異なる生き方や考え方の人も尊重します」これは問題なし。
問題が生じるパターンは2パターンあります。
1つ目はお互いへの干渉、つまり「あなた方もこうすべき」が始まるときですが、これは正直、身近で見たことがありません。2つ目は「私、あっち側に生まれたかった!あっち側に行きたい、あっち側で生きたい」となった場合です。これは何度か経験というか、目撃しています。
まず、身近な人がHazar be Tishva(直訳すると「答えに帰る」)場合。
これは、どういう意味かというと、世俗的な生活をしていたユダヤ教徒が信仰を求めて、その教えを厳格に守っていく、つまりは世俗人が正統派になることをイメージして頂くとわかりやすいかもしれません。身近にも3人いました。全員男性です。彼らの心の中には日々葛藤があったのでしょうが、私からしてみると、ある日突然、私の目を見なくなる、直接会話をしなくなる、というもの。家族の中に女性がいれば彼女たちに対する態度も一変します。1人は私の友達の旦那さんで3人の子供の父親でしたが、離婚をして、別の正統派女性と再婚をしました。
次に逆パターンもあります。
Hazar be Tishvaの逆で、Hazar be sheela(直訳すると疑問に戻る)というものが存在します。正統派の家庭に生まれ、正統派のコミュニティで育ったものの、その教えに疑問を抱き、世俗的な生活や生き方を模索する人たちを指します。これは、そうしたコミュニティから逃げてきた女性が登壇する集会に一度、顔を出したことで、話を聞くことが出来ました。
私自身、自分の気持ちに正直に生きたいと思い、生きようとしてきたし、生きているので、こうした考え方の人たちを応援する気持ちは常にあります。宗教に関してだけでなく、万物に関して、これでいいのか?これが最善か?と問いかける気持ちは尊いと思います。ですが、これに関して言えば犠牲が大きい、その中間や他の解決策はないものかなどなど、気持ちは複雑です。
「隣の芝生は青く見える」のようにお互いをきちんと理解することなく、憧れ、もしくは現実逃避がこの問題を引き起こしていると、私の限られた体験からは感じてしまいます。きちんとお互いを理解した上で尊重し合い、往来ができるようになると理想的だなとは思いますが、なかなか一筋縄ではいかない道のりです。
本コラムを読んで、今まで映像の中にだけ存在した世界にほんの少しだけ、思いを巡らせ、少しでも身近に感じて頂けたら幸いです。
Israel Now イスラエル紹介コーナー【安息日の食べ物】
安息日に食べる私の大好物のお料理が2つあります。
基本的に安息日に入る前にオーブンにぶち込んでおいて、土曜の朝や昼に家族や友人と食べるお料理です。安息日に火をつけるという「労働」をしないための工夫なのかもですが、考えようによっては、「家事」という「労働」から解放されるための知恵でもありますよね。
一つ目がJachnun(ジャフヌン)。
これはイエメン系のユダヤ人家族が安息日に食べるパンの一種です。
イエメン系の友人の実家で一度一緒に作ったのですが、大量のマーガリンをパン生地のようなものに少しずつ練り込んで、平たく延ばし、クルクルと棒状に巻いて、アルミ製の鍋に並べて低温のオーブンに安息日に入る前にぶち込む、しかも、卵と一緒に。低温で長時間調理、これが安息日の食べ物の基本です。出来上がったJachnunはゆで卵ならぬ、オーブン焼き卵とトマトのすりおろし、Schug(スフッグ)と呼ばれる唐辛子の調味料(柚子胡椒とか豆板醤的な)と一緒に食べます。
ほのかに甘い生地とこれらの付け合わせが非常に合うのですが、練り込むマーガリンの量を見てからは1食1本!と決めています。
二つ目がChamin(ハミン)またの名をChunt(チュント)。
これは出身地(東欧なのか中近東や北アフリカなのか)で呼び方が異なるのですが、つまりは低温のオーブンで長時間煮込む料理になります。ソーセージや肉や豆、ジャガイモ、殻ごと卵など、具材は各家庭、異なりますが、だいたいこうした具材を大きな鍋に入れて安息日の前にオーブンに仕込みます。これもなかなかのヘビー級の料理なので、大好きなのですが食べる量は要注意です。食べたら絶対昼寝をしたくなる食べ物です。
安息日に入る前、金曜の昼過ぎまでは店や市場も開いていて、テイクアウトできる場所もありますので、イスラエルに行ったら是非食べてみてください!
注:そうです、日本みたいに「週末は買い物に行こう!」は無しです。
金曜の15時前には多くの店は閉まってしまいますし、バスなどの公共交通手段も止まります。Shabbatは万民に平等に訪れる「安息日」ですから、のんびり家族や友達と過ごすのが基本です。 逆に安息日が終わる土曜日の夜には一斉にお店やシアターなども開いて街は大賑わいとなります。
イスラエルの企業は基本金曜日と土曜日がお休みです。
日本だと日曜の夜は、まったり、家族とサザエさんでも見ながら、明日からの1週間を憂鬱に思って過ごされる方も多いかも(?)ですが、イスラエルは土曜日の夜に繰り出して遅くまでワイワイやります。そして、日曜の朝のオフィスではコーヒー片手にまったり「週末どうだった?」と小一時間おしゃべりをします。