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イスラエル箸休め企画 第五弾『イスラエルと宗教』 ~点と点をつなぐ~

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イスラエル箸休め企画 第五弾『イスラエルと宗教』 ~点と点をつなぐ~
エルサレムにある「嘆きの壁」(撮影:福室)
SOMPOホールディングスは、2017 年 11 月に日本の保険会社として初めてイスラエルのテルアビブにデジタル戦略拠点「SOMPO Digital Lab Tel Aviv」を開設し、サイバーセキュリティを含む複数の領域においてイスラエルのスタートアップ企業との協業の検討や実証実験を行なっています。 現在、SOMPO CYBER SECURITYでも複数のイスラエル企業と技術提携をして、日本のお客さまにサービスを提供しています。そうした経緯から、イスラエルに関するコラムをお送りしています。

この『イスラエル箸休め企画』の案内役を務めますのは、SOMPO CYBER SECURITY 事業企画部所属の私、福室 満喜子です。9年ほどイスラエルに住んでいたことがあり、イスラエルのスタートアップ3社での勤務経験もあります。

今回で第五弾となるこの箸休め企画、頭の中にネタの詰まった引き出しが複数存在するものの、引き出しを開ける鍵が見つからないというのが現状です。次は何をテーマに書こうかなと思っていた矢先、宗教(新興)と政治の結びつきがニュースを賑わせており、これがいい具合に鍵の役割をしてくれました。引き出しが一つ、スコーン!と開いた感じです。日頃から日本人の宗教観は独特だと感じているので、引き出しの中身を吟味し、整理しながら今回はイスラエルの宗教を取り上げてみようと思います。と言っても、取り上げ可能な角度もさまざまなので「超限定的主観的宗教話」としてお届けします!

記事に関するご意見・お問い合わせはこちらへお寄せください。
(SOMPOホールディングス、損害保険ジャパンなどグループ各社へのお問い合わせはご遠慮下さい)

聖地エルサレム

七五三では着飾って家族で神社にお参りして、クリスマスになると街にはクリスマスソングが溢れ、その一週間後には初詣だと言って神社やお寺に参拝し、結婚式はチャペルで挙げて、人生の最後を締めくくるお葬式はお寺で、と複雑怪奇なことを至極当たり前にやってのける日本人ですが、その対極にあるのがイスラエルという国です。

イスラエルは言わずと知れた聖地エルサレムを首都に置く国です。

聖地エルサレム 誰にとっての聖地か、ご存じですか?
ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒にとっての聖地です。
この三大宗教は「同じ神様」を信仰しています。
はい、紛争のイメージがありますが、同じ神様を信じています。いわゆる「一神教」です。
神様という共通項に加え、救世主とか預言者とかのプラスアルファが登場することによって、枝分かれした、というのが最短ルートの説明でしょうか。


嘆きの壁と岩のドーム(撮影:福室)

岩のドーム(撮影:福室)
聖地エルサレムについても、細かく説明しようとすると日が暮れるので、かいつまんで説明しますと、ユダヤ教の神殿がかつて鎮座していたのが現在のエルサレムの旧市街の嘆きの壁がある場所です。嘆きの壁はかつてのユダヤ教の神殿の外壁の一部です。よく見ると、壁に使われている石の大きさがある部分から上は小さいのがわかります。時代によって使われていた石の大きさが違うので、上に行けば行くほど新しい時代の壁と思うと良いかと思います。

*特別なツアーに参加すると、嘆きの壁の左部分から地下に降りて、神殿が建てられた当時の基礎で使われていた巨大な石の壁の一部を見ることが出来ます!

このユダヤ教の神殿はローマ帝国によって破壊されてしまいます。
その後、そこはイスラム教の預言者ムハンマドが昇天した場所として岩のドームが建てられ、イスラム教徒にとっての聖地にもなります。キリスト教徒にとってはなぜ聖地なのかというと、神殿のあった場所から歩くこと数分、聖墳墓教会、つまり、イエスキリストが十字架にかけられ、天に召され、3日後に復活を遂げたとされる場所があります。キリストが十字架を背負って歩いたとされるビアドロローサもあるし、レオナルドダヴィンチの作品で有名となった「最後の晩餐」が実際に食された部屋も実はエルサレムの旧市街にあります。

見どころ満載のエルサレム、行ってみたくなってきましたか?
いや、それほどでも、と言われても私はめげません。
見どころはこんなもんではないので、いつか「降参です!」と言わせて見せましょう!

宗教に関心がなくとも、宗教が目に入る、宗教が感じられる、それが「聖地エルサレム」なのです。

出自に想いを馳せてみる

私は、クリスチャンの家に生まれました。
私のクリスチャンネーム(キリスト教徒が洗礼を受けるときに授かる名前)はアンナです。
アンナって誰?と思って調べたことがあります。
子供のころに聞いたら「聖書に出てくるおばあさん」という説明を受けた記憶があり、大人になって調べたら、マリア様のお母様がアンナ、また予言者アンナという女性も聖書には登場するのですが、この預言者アンナがおばあさんと記述があるので、そっちから取ったクリスチャンネームなのでしょうか。私はその程度の不真面目クリスチャンです。

母方は敬虔なクリスチャンの家系であり、祖父や曾祖父も司祭でした。
余談ですが、みなさん、牧師、司祭、神父、違いをご存じですか?
あまり意識していませんでしたが、数年前に気になって調べて「へ~ そうだったんだ」と違いを知りました。

クリスチャンの幼稚園に通い、小学生の頃は日曜日になると「日曜学校」と呼ばれる教会の子供向けの礼拝に通っていました。中学高校と部活にいそしむようになり、教会からは足が遠のきますが、大学が再びクリスチャンの大学だったことや、留学していたイギリスでパイプオルガンの荘厳な音色に心打たれたり、少しずつまた宗教というものに興味を持つようになっていきます。信仰に、というより、宗教というものと切っても切れない文化・風土というものに、というのが正しいかもしれません。大学の講義で買わされた、風土が如何に人の精神構造に影響を与えているかということを説明した本『風土』にも大いに影響された気がします。

学生時代は高野山までは電車で一本の大阪の南海高野線沿いに住んでいたので、何度も足を運びました。
高野山にある多くのお寺の境内に、なぜか神道を象徴する鳥居があることが不思議で、とあるお寺で質問したところ「そもそも神様がおられるところに仏教が入ってきてお寺を建立したので『神さん、ちょっとお邪魔しまっせー』いう気持ちの表れ」とのことでした。『風土』に書いてあったことにも通じていますし、もとから存在するものへの配慮の発想、ちょっと素敵だなと思ったりしたのも覚えています。冒頭に「複雑怪奇」な日本人の宗教観についてコメントしましたが、背景を知れば納得できることもあるので、やはり興味を持って知る努力を惜しまないことは大切なのだと思います。

点と点が線になる瞬間

とまあ、子供のころから旧約聖書、新約聖書、ともにある程度、慣れ親しんでいたのですが、聖書の国=イスラエルという認識もさほどないままにイスラエルを訪問。箸休め企画の第一弾でも書きましたが、私のイスラエル訪問のきっかけは友人であり、私自身の出自とは関係なかったので「行くからには聖地を見たい!」という思いもゼロ。しかも、聖書の中のお話は全ておとぎ話レベルと思いこんでいたので、実際に「ゴルゴダの丘」「ビアドロローサ」「ベツレヘム」「ナザレ」「最後の晩餐」なんて場所が存在するとは思ってもいませんでした。ましてや旧約聖書の「ソドムとゴモラ」に出てくる塩の柱、あるの!?となるわけです。あったんです!「塩でできている柱」か否かは別として、その一帯が実際に火に覆われたことを証明する地層も発見されています。

そんなある日、イスラエルで当時通っていたヘブライ語学校で動詞の活用形を習っていた時の話。

「アブラハムとサラは子供を授からないまま年を取った」
はいはい、知ってますよ、旧約聖書にある話ですね。
「そんな夫婦に神様は、あなたがたは子供を授かるよ、と告げます」
はいはい、聞いたことあります。
「この年で(90才過ぎてる)そんなのあり得ない、あっはっは」と笑うアブラハムに神様は「生まれてくる子供はイサク(ヘブライ語の発音ではイツハク)と名付けよう」
はいはい、聞いたことありますけど、それで?
あ゛―――――――!
え!?まさか!?そういうこと!?
イツハクって『笑う』の活用形!?
ヘブライ語でイツハクと発音されるこの名前は日本語ではイサク(英語ではアイザック)と表記されるので「アブラハムが笑ったから、神はその子をイサクと名付ける」にそんな意味があったなんて気付かなかったけど、そういうことだったのか!と目からウロコの瞬間でした。桃から生まれたから桃太郎、笑い飛ばされちゃったから、笑太郎、そういうことだったのか。聖書がグッと身近な話に思えた瞬間でした。
そして、ついでに聖書ってもとはヘブライ語で書かれてたんだ!というのも目からウロコ。

生きていく上で何の糧になるのか不明ですが、兎に角、うわ~!と急にしっくりきた感に感動したのは覚えています。言葉って面白いな、言葉=風土=文化=宗教=国民性みたいなものに学生時代から目覚めてはいたのですが、ここでまたワンランク上の好奇心に昇格させられた感じでした。

歩くの大好き!聖地巡礼

最近、日本ではアニメやドラマに登場する場所の「聖地巡礼」がありますが、私の聖地巡りはホンモノです。

エルサレムの旧市街からトコトコ歩くこと2時間、イエスキリスト生誕の地、ベツレヘムがあります。

遊びに来ていた両親を連れて、クリスマス当日にベツレヘムへ行った時のこと。
子供の頃の日曜学校でクリスマスになると、必ず馬小屋でのキリスト誕生のシーンを三賢人と共に演じるわけですが、3人の博士は星に導かれて、ベツレヘムにやってきたという一節を思い出して、へーこんな夜空を見ながらベツレヘムに来たんだねーなんて、ちょっとロマンチックな気分に浸ったのも束の間、生誕の地そのものであるベツレヘムの街は、びっくりするほどクリスマス色は薄いので、それに心奪われてしまった福室一家です。ベツレヘムに住む人の多くはイスラム教徒というのも理由の一つですが、もちろん、教会もあり、ミサはあちこちで行われて、世界に向けて生中継で放映されていたりするのですが、街中はビックリするくらい平常運転。欧米や日本(特に日本!)のクリスマスは、クリスマス+冬休みで「休暇」というイメージがついていたり、サンタクロースが登場して、いわゆるCommercialism(商業主義)に踊らされた結果かと。

エルサレム近郊なら、ハイキングやトレッキングが好きな人はコチラもお勧め、ワディケルトと呼ばれる峡谷の入り口で車を降り(当時はヒッチハイク)流れる用水路に沿って、炎天下の中、砂漠を数時間進むとSt. George Monastery(聖ジョージ修道院)という断崖絶壁にある修道院にたどり着きます。
絶景です!
ここも旧約聖書に登場する洞窟の上に建てられているのですが、熱射病もどきにかかった私は修道院まで上がれず、水路に足を浸して、友達が修道院から飲み水を貰ってきてくれるのをひたすら待つという残念な結果でしたが、そこに至るまでの景色も素晴らしいです!木陰がないので要注意ですが、用水路沿いのオアシスを通り過ぎたり、そこに暮らすベドウィンに出会ったり、なかなかのアドベンチャーです。修道院から更にトコトコ下って行くと、これまた旧約聖書に登場するエリコの街にたどり着きます。(何の話で登場するかは記憶にありません。。。)

左手の断崖絶壁の中腹に見えるのがSt. George Monastery/聖ジョージ修道院(撮影:福室)
こうした聖地巡礼スポットはエルサレム近郊とは限りません。
イスラエル各地に点在しているのですが、またの機会に書こうと思います。

こうして書いていると芋づる式に蘇る宗教関連のイスラエルでの思い出。
エンドレスなので、最後にエルサレムでの痛い思い出を一つ。

Jaffa Gateと呼ばれる旧市街の門の近くにあるバックパッカーが多く利用する安宿にオーストラリア人の友人と泊まっていた時のこと、私たちの朝食用の卵を毎日のように盗む輩がいます。貴重な朝食の糧を盗まれて怒り心頭した友達が「Don‘t steal my fxxking eggs!」と書いたメモ用紙を卵の容器に貼った翌朝、そのメモ用紙にコメントが。「ここは聖地です。Fワードは慎んでください」と。盗んでいた本人が書いたのか、はたまた他の宿泊客か宿の管理人が真面目に書いたのか、そこは今でも謎のままです。

兎に角、はい、おっしゃる通りです、大反省!

かくも乱雑な宗教感の中でボーっと生きている私たち日本人ですが、信じる信じないは別として、興味を持って宗教やそれに紐づく文化への理解を深めると、少し違った景色が目の前に広がってきます。そして、ボーっとしている日本人でさえ、宗教を意識させられる、それがイスラエルです!

おまけ

今回は文中にイスラエルの観光地の紹介をしたので、このおまけコーナーでは、イスラエルではない情報を載せてみることにしました。先ほど、日本のクリスマスをCommercialismと表現しました。日本のようにキリスト教徒がマイノリティであるのにもかかわらず、ここまで「ザ・クリスマス」にこだわる国は珍しいと思っています。日本に戻って3年。当時リモートで勤めていたイスラエルの会社が買収され、人員整理で真っ先にクビ切り対象となり、3カ月前の解雇通知を受け取ります。「あと3カ月しかリモートワーク楽しめないならば、どこで最後、働こうか?」と迷った挙句、海外はしばらくいいや、と思っていたのと、どうせ行くなら普通の休暇では行きづらい交通の便が悪いところに行こう!という発想にたどり着き、そうだ!五島列島で本物のクリスマスを過ごすというのはどうだろう!?と思い至り、12月の1か月を五島列島+長崎で過ごすことに決めたのでした。


隠れキリシタン(2018年「潜伏キリシタン関連遺産」として世界文化遺産に登録)の歴史を学んだり、数々の美しい教会を見て回ったり、信者さんたちがキリスト生誕のシーンの飾りつけをするのを手伝ってみたり、礼拝に参加してみたり、釣りをしてみたり、地元のおばあちゃんや漁師さんのおうちにお呼ばれしてみたり、心豊かに過ごせたひと月でした。

そして、五島列島のクリスマスも静かでした。

ホンモノって意外と静か、そして、祝い、感謝するのがマツリゴトであって「お祭り騒ぎ」とは意味が違うのだと理解した旅でもあり、そして、何より、遠く離れたイスラエルの地で生まれた信仰が、この日本の五島列島でこうした形で残っていることへの感動なのか、畏怖の念なのか、胸にズシンと来るものを感じた旅でもありました。
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